沖縄出張記・その2


2006.6月号

 出張中の1ヶ月間で30例以上の全身麻酔を一人でやりおおせました。大学の手術室のように、もたれ合える仲間なしで、合併症を有する患者さんの全麻を無事 に行えたのです。酸素の供給が途絶えなければ、人は易々とは死なない、との度胸もつきました。私の財産です。
 もう一つ財産があります。 出張後にはまとまった報酬が厚生省(当時)から出ましたが、その使い道は人により様々でした。麻酔の仕事以外は宿から出ず、贅沢もせず、そっくり結婚資金 に充てた超まじめな後輩。那覇の夜の街に投下し、すべて尿とアセトアルデヒドにしてしまった先輩等々。私は仕事が終われば沖縄唯一の国道である58号線を ジョギングすること1時間、休日には真っ青な海で素潜り。清く正しく、規則正しい生活を心懸けました。報酬は当時売り出されたばかりのポータブルビデオカ メラとレコーダーに充てました。手のひらにすっぽり入ってしまう今のものとは大違い。ポータブルとは名ばかりで、カメラはバズーカ砲のような大きさ、レ コーダーも肩から提げる重いものでした。4歳になる長女や生まれて間もない長男の姿を収められました。大きくなって親に生意気な口をきくようになったら、 見せてやりこめようと、おむつ交換の場面などを努めて収録しました。
 子育ても終わり、30年近く経って夫婦だけで久々見ることがあります。「私にはお土産なし!高価な無駄遣い!」と当時は非難した山姥など、目をうるうる させながら見入っています。若かったはずの撮影者の私は、声だけでほとんど画面には登場しません。
2年前、日本歯科医師会の生涯研修の講師として、思い出の沖縄県歯科医師会館で講演でき、第二の故郷に錦を飾ることができました。
「次は○○です。夜12時まで診療の△△歯科医院は次でお降り下さい。」十何度目かの沖縄旅行の際、乗ったバスでのアナウンスです。朝6時前から診療待ち の患者さんの列ができた歯科医療過疎の昔から一変して、沖縄は歯科の激戦区になったようです。

P.S. 皆様のおかげで城南地区は「お互いの顔が見える歯科の連携」ができました。この連携を歯科衛生士の皆さんにまで広げようと、当科の衛生士達が6 月29日(木)13時から当院で懇親会を企画しました。歯科衛生士の皆さん。当科に遊びに来て下さい!お問い合わせ、参加ご希望については当科まで。

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